【聖地巡礼】イスラエル放浪記④ベツレヘム〜パレスチナ問題に触れる
前回までエルサレム旧市街の内容を書いてきましたが
この日は少し足を伸ばし、ベツレヘムへ〜
と言っても10キロぐらいしか離れてはいないのですが。。。
ベツレヘムにはイエスの生誕の地「聖誕教会」があり、当初それを見る目的で向かいました。
ところが思わぬ方向に(笑)
行き方はは検索すれば詳しくでてくるので省略。ダマスカス門近くのアラブバス乗り場からバスで向かいます。
途中でチャックポイントと呼ばれる検問所があります。
そうベツレヘム方面はニュースでも聞いたことがある「パレスチナ自治区」の中なのです。
これまで関係ないという感じでスルーしてきたパレスチナ問題。問題はかなり複雑なようですが、バスの中で予習した程度の拙い知識で書きますと・・・
事の発端は3000年ぐらいまで遡るようです。
その頃古代イスラエル王国がありユダヤ人がこの地を治めていました。
しかしこの後、このイスラエルは新バビロニア、ローマ帝国により滅ぼされもともと住んでいたユダヤ人は追い出され世界各地に散らばっていったようです。
その後この地はイスラム帝国が支配しアラブ人たちが住みつくようなります。
そして16世紀ごろからオスマン帝国が支配するようになりこの地域をパレスチナと呼ぶようになります。
一方世界各地に散っていったユダヤ人は各地で迫害されることもあり、パレスチナの地に戻ってくる人も現れます。
この流れが加速したのが、第一次世界大戦・第二次世界大戦のようで1930年代には年間20万人のユダヤ人がパレスチナに移住してきます。(ナチスによるユダヤ人迫害の影響です)
そうなるともともと住んでいたアラブ人たちはたまったもんじゃありません。
国連は「パレスチナをユダヤ人とアラブ人で2分割してください」という結論。
こうしてユダヤ人の国家「イスラエル」が1948年に誕生しました。
これに納得しないアラブ人は周辺のアラブ国家の力を借りて、イスラエルに乗り込みます(第一次中東戦争)
しかしパレスチナに返り討ちにあい、もともとアラブ人の領土とされていたところもイスラエルに侵略され、アラブ人たちは狭いエリアに押し込められることになりました。
ベツレヘムもパレスチナ自治区の中にあります。そしてイスラエルとパレスチナ自治区の間には分離壁がイスラエルの手で築かれました(現在進行形)
この高さ10mにも及ぶこの壁にはパレスチナ問題に怒る世界各国のアーティストが色々なメッセージを残しています。
バスの中でこれを知った僕は急遽予定変更でこの壁を見に行くことに〜
バスを降りたらタクシードライバーがウヨウヨよってきますので値段を交渉して連れっていってもらうことに(壁はかなりの長さがあるのでタクシーでした回れないようです)
そこにあったのは圧倒的な壁です。。。
タクシーのおっちゃん(パレスチナ人ドライバー)は熱心に訴えてきます
「高さは10mもあるんだ。10mだぜ!
俺たちは何をしたというので・・・こんな壁を作って!
この壁のせいで家を追われた人もいっぱいいるんだ。
俺たちはもう壁の向こう側には行けないんだ・・・」
(英語が苦手なので正確ではないですがこんな感じでした)
そういって見せてくれたのが
追い出されても、鍵は持ってるんだということ
有名なバクシーが描いた絵とドライバーのおっちゃん。
パレスチナ人のおっちゃんは本当にいい人でした。
ただただ今の現状を僕に熱く語って聞かせてくれました。
この超えられない壁のことを・・・
色々考えさせる旅でした〜
次回はベツレヘムの普通に観光した模様を〜
では